ウネリが朝日新聞をやめた
タイトル通りの投稿です。
6月30日付でパートナーのウネリこと牧内昇平が朝日新聞社を退社しました。
退社理由等にも触れた本人のご挨拶を「ウネリウネラ」に掲載しています。
会社と交渉している期間は、私たち家族にとって苦しい時期でした。
ウネリ自身でなく、私ウネラの被害の問題が原因となっているため、「この決断で良かったのだろうか]」という考えは、今も頭をもたげています。
いくらウネリが「自分からそうしたいと思って決めたことだ」と話してくれても、私自身として完全に「これで良かった」と腑に落ちるには至りません。
今後、そういう日が来るのかどうか。
問題を通じ、「組織」と「個人」のあり方について、ひたすら考える日々でした。
私は朝日新聞社を含め、マスメディアの存在意義を重視しています。現状、国内のメディアが問題を多く含んでいることは否めませんが、その存在自体を無用のものとして貶めるような言説には、まったく反対です。
当然のことですが、社内に働く人たちを個々人としてみれば、問題意識も高く、人として尊敬できる方々がたくさんいます。そうした方々への敬意は変わりません。
ただ、「個人」に対する視点に寄っていくと、組織としての問題点を追及しづらくなる。どこの世界も同じですよね。
ですから、こちらとしては、被害を受けたというのは私という紛れもない個人(社組織の構成員でもある)だけれども、交渉する相手は朝日新聞という「組織」だということを強く意識して交渉に臨んでいました。
そうは言っても、簡単ではありませんでした。
特に私は(ウネリにもたしなめられましたが)ウェットなので、組織にも「人間性」を求めようとしてしまうし。一方会社も、「組織」であるにもかかわらず、中途半端な「嫌悪感」のような人間的感情を隠さないわけです。
疲弊しました。
最終的な社の結論は、メールに添付されたA4用紙1枚で終わり。それも箇条書きの責任者名すら入っていない粗末なもので、こちらが申し入れている事項に応えているとは到底言えない内容です。
詳しくは今後書けると時に書いていきます。
例えば、労災のこととかもですね。
それはウネリのほぼ専門分野ですから、もちろん労基署にも行っています。申請していないのは私の事情(遺伝性が疑われる疾患に関わることから)です。
交渉の内容というか、その姿勢次第では、仮に会社としての結論が同じであろうと、少なくともウネリさんまでが退社には至らないという道も、確実にあったと思います。
つい感傷的になってしまいました。
お読みいただき、ありがとうございました。