「ウネリウネラ」としての執筆 週刊女性PRIMEに記事掲載いただきました
先日こちらでも「誹謗中傷」と「批判」というタイトルで書いた「ウネリウネラ」の記事をご紹介しました。
対談形式でだいぶ長いものだったのですが、それを編集、加筆した記事を「ウネリウネラ」として、週刊女性PRIMEに掲載していただきました。
掲載記事はこちら→木村花さんの訃報で考える、自分も無意識にしている可能性がある「誹謗中傷」の真実
そもそも、ウネリとは朝日新聞記者の牧内昇平であり、もちろん普段は新聞記者として取材、執筆をしているわけです。
それではなぜわざわざ「ウネリウネラ」などという夫婦ユニットなるものを結成して発信を始めたのか。
そのへんのことを、「ウネリウネラ」サイト上で書きましたので、ご興味あればご一読いただけるとうれしいです。
この文章の中にに書ききれない事情もあるにはあるのですが、それはまた別の機会に。
取り急ぎ、いつもこのような駄文を読んでくださっているみなさまに、感謝申し上げます。
田んぼの田の字からブルーインパルスまで
久しぶりに書きます。
先日、小3長男と近所を散歩していたときのことです。
長男「最近思うんだけどさあ……」
大人びてきた長男が、深刻そうな顔をして話しかけてきました。
何か相談事かと思い、私も一瞬心の準備をしました。
長男「思うんだけど……田んぼって、ほんとに漢字の「田」の字のかたちなんだよね…」
へえ~。そうきたか、と軽い感動がありました。
私自身は、田んぼに囲まれて生まれ育ったので、田んぼを見知ったあとで「田」という字を知りました。
「田」の字をはじめて知ったとき私は「わかりやすい、かたちからできた漢字だね」くらいの感じしか抱かなかったと思います。いや、そこまで何か思ってさえいなかったかもしれません。
以来、長男とその会話をするにいたるまで、「田」の字について振り返って考えることもありませんでした。
それまで私にとって「田」の字の認識は、特別な感慨を持たないできごとだったわけです。
長男ははじめて、田畑が身近にある環境で暮らしています。
小さいころから私の実家に泊まることも多く、さらに映像や画像なども含めれば、これまで何度も田んぼは見ているはずです。
それなのに
「なんか俺……発見しちゃったね」
などとを言いつつ、遠い目をして、なんともしみじみ感じ入っている。
このことは、なんともおもしろいことでした。
長男が「田」という漢字を「認識」していくさまを目の当たりにしたような気がしました。正確には、認識を深めていくさま、といったところでしょうか。
いずれにしても、そのさまは本当に生き生きとして、ある種感動的でした。
そんな感動を抱きつつ帰宅し、自室で横になりながら、しばらく放置していた長男の学校のプリントに目を通しました。学校だよりとか学年だよりとか、そういったものです。
学校からの配布物にはいろいろと引っかかって疲れてしまうため、できるだけゆとりがあるときに見るようにしているのですが、結局また引っかかってしまいました。
そのたよりには「あいさつとか返事とかを元気に」という主旨のことが書いてあり、個人的にはその内容自体どうしても好きになれないのですが、ここではそういったことには問題にしません。
ただ、その中の
学校生活を送る上では、不必要な会話や発声を行わないことが求められていますが、
という部分に強烈な違和感を感じて、またしばし考え込んでしまいました。
私が感じた違和感は、大きく分けてふたつあります。
ひとつは、会話はおろか「発声」すらも「不必要」であれば「行わない」としている冷ややかさ。しかも会話や発声の「要」「不要」の判断は、学校側がするのだと思われます。思われるのですが…
もうひとつの違和感として、上記のことを「誰が誰に対して『求めて』いるのか」がわからないことの気味悪さがあります。これが「思われるのですが…」と述べた理由です。
なぜ
「学校は児童に対し、学校生活を送る上で、不必要な会話や発声を行わないよう求めています」
と書かないのか。
些末に思われるかもしれませんが、こうした主体のあいまい化は、責任の所在のあいまい化をまねく、もしくは、あらかじめそれを目論んでいるのではないかと思います。
「求め」の内容は「不必要な会話や発声を行わないこと」ですよね。その求めの対象となるのは「子どもたち」です。そもそも「元気にあいさつをしよう」ということが主旨の文章なので、それは明らかです。
ではそれを求めているのは誰なのか。このたよりを出している「学校」が求めているに違いないと思うのですが、なぜそれを「求められている」というようなあいまいな表現におさめようとするのか。あたかも、社会全体がそれを求めているかのような印象です。
「発声」さえ要、不要で扱われていること自体を、私は怖いと感じました。
でも、この求めの主体がわからない(読めない)ことで、その恐怖の表明先もわからなくなってしまうような気がします。
また、まとまりがなくなってきました。今ここまでが限界かな。
些細なようですが、個人的には重要な引っかかりだと思ったので、記録しておきたいと思います。
などと思っていたら、ブルーインパルスのことがありました。
報道の様子なども含め、これが現実なのかどうか、ちょっとにわかには信じがたいくらいのできごとでした。
タイムラインに流れてきた官邸のTwitterには
「医療従事者をはじめ、新型コロナウイルス感染症への対応に全力を尽くして下さっている皆様に、敬意と感謝の気持ちを込めて、明日、航空自衛隊のブルーインパルスが、東京都上空を飛行します。」
とありました。
「ブルーインパルス」は、「敬意と感謝の気持ち」でふわっと飛んだりはしませんよね。
飛ばしたのは、誰?
「誹謗中傷」と「批判」
牧内昇平氏とのブログ「ウネリウネラ」更新しています。
今回は「私は【誹謗中傷】をしてはいないか」
というタイトルで、
【誹謗中傷】は絶対に許さないが、【批判】というものは絶対に必要である
というようなことを話し合いました。
対話形式で長いのですが、お読みいただけたらと思います。
ご意見やシェア、歓迎です。
PCR検査がどれだけ「稼働」しているのか?
森の奥の樟の木
最近また、長田弘全詩集をぱらぱら開いています。
長田弘さんは福島出身。
「森の奥の樟の木」という詩は、『詩の樹の下で』という詩集に収録されているのですが、この詩集について長田氏は
この小さな本のモチーフとなったのは、
樹や林、森や山のかさなる風景に囲まれて育った幼少期の記憶だ。
と記しています。
「森の奥の樟の木」の一節を引用します。
微かな木漏れ日がちらちら揺れている。森のなかには尽きない時間がある。踏み迷うことのできる時間があり、すべもなく立ち尽くすための時間がある。
生きるとは時間をかけて生きることだ。人はどうして、森の外で、いつも時間がないというふうにばかり生きようとするのか。
私は時間をかけて、生きているだろうか。
森の外の世界で人は、踏み迷い、立ち尽くす人の存在を、認めているだろうか。
許せているだろうか。
そんなことを考えています。
森のあるまちで。
「ウネリウネラ」更新情報
「ウネリウネラ」更新しています。
福島のコロナウイルス関連情報です。
読んで何か感じていただけたら、また、福島にお知り合いがいる方は、シェアしていただけたらうれしいです。
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「元新聞記者」らしいことをほとんど発信していなかったので、この記事に寄せて少しお話したいと思います。
昨年、牧内は「過労死: その仕事、命より大切ですか」「「れいわ現象」の正体 (ポプラ新書)」という本を立て続けに出版しました。
れいわの件に関しては、その後社内で記事が掲載されにくくなる、ということも起こり、その時のことも本の中で触れています。
かろうじてデジタルにだけ載せられた記事が、サイト内で深く深く潜ったり(誰がどうやってああいうふうに潜らせられるのか興味ありますが)。
直近だと新しい記事なのに「牧内昇平」とサイト内検索しなければ出てこないような扱いになっていたことなど、ままあります。
たとえばこれ
自爆営業で自殺、労災 埼玉の郵便局員に認定:朝日新聞デジタル
とか、多少独自性のある記事でしたが、デジタル上では「見えない」といっても過言ではない(検索しなければみつからない)ような仕様になっていました。
そのうち、今春福島へ異動になりました。
福島は牧内の初任地でもあり、報じるべきことが多い土地。
都市の環境に疲れていたこともあり、異動すること自体は、本人も家族も前向きにとらえていました。
少なからぬ方々から「不当人事だったのでは」といったご心配をいただきましたが、さほど影響力のある者ではありませんので、ご心配には及びません。
担当するエリアが少し変わるだけで、やる仕事は変わりませんので。
福島に移る以上は、福島に住む人びとに対し誠実な報道を心がけたい。
さらにこのコロナ禍においては一層、福島の人たちにできるだけ正確で有用な情報を伝えていきたいと考えています。
それが、地方版を受け持つ記者の使命ではないでしょうか。
おもしろおかしい、「全国的に」めずらしい系の話を「本紙いける」とかいってつくって本紙(全国版)に送ることを最優先し、地方版には毒にも薬にもならないような記事を並べる。
これは、地方版読者に対し不誠実だと思います。
牧内は、着任後から福島県内(特に福島市)のコロナウイルス問題について取材し、厚めの原稿をそれなりにたくさん書いています。
でもそれらが、載らない。載らない原稿がどんどんたまっていく。
刻一刻と状況が変化するコロナの問題にあって、掲載されないまま放置された記事は、ゴミ同然です。
たまに紙面に載っても、今度はデジタルには載せてもらえなかったりするので、それは自サイト「ウネリウネラ」で拾っています。
紙面の写真を撮って自サイトで再掲載するなど、虚しくもなるのですが…。
とにかく、福島に住む人たちに十分情報が提供されていないという問題意識で、取材・執筆しています。
子どもたちに、父の仕事として紙面を見せてあげたいものなのですが、なかなか記事が掲載されないため、一時会見動画を見せることにしました。便利な時代ですね。
子どもたちはけっこううれしかったらしく
「いっぱい聞いてるね」
「声に特徴あるね」
と楽しんでいました。
けれどほどなくして、福島市は会見の動画をアップするのをやめてしまったようです。どうしてでしょう。
「れいわ現象の正体」の書籍出版を機に、牧内が冷遇されるようになったのではないかとのご心配を多くいただきました。それは一理あるかもしれませんが、この本に関しては、社内ではほぼ黙殺されているので、それが影響しているのかも定かではありません。
ただひとつ、確かに言えることは、同書籍出版のずっと前から牧内は、妻である私(竹田麻衣)が同社勤務(取材)中に受けた性被害について、自ら代理人となって、会社と交渉を続けていました。
そのあまりに粗末な会社の対応の記録はすべて残っているのですが、会社から都度私自身が侵害される内容の回答が返ってくることで、私の健康状態が急激に悪化し、最終的には、会社のメールが怖くて開けないという状態にまで陥ってしまいました。
本当に情けない気持ちのまま、心身の健康状態悪化が原因で、会社との交渉継続が困難となり、私は会社を辞めました。
私の話は後に書くとして、牧内とはそういう人間です。
自社の人事部に乗り込み、部長を出させて、対応の否を認めるようしつこく迫るような、そういう人です。
はなから査定とか人事みたいなものは気にしていないのです。
そういうわけで、「ウネリウネラ」サイトには今後も新聞に載らなかった記事や記事に書ききれなかったことなどを書いていくつもりです。
人事的なことは心配なさらず、お読みいただけたら遠慮なくご意見、シェアよろしくお願いします。