ウネラのブログ

元新聞記者ウネラの日記

場面を読み込むのに時間がかかるという話

コロナウイルスの問題に関連して、語りたいことはたくさんあるのですが、それをすべて記すにはなかなか気持ちが追いつかない、そんな状況です。

 

学校への休校要請が出る少し前、2月下旬から、うちでは学校や保育園をお休みし始めていました。

 

「こういう状況だから、家で見られるときはみよう」という感じで、逆に言うと「どうにもならないときにはいつも通りお世話になろう」と考えていました。

 

結局、学校は今日の修了式まで行かず。

 

会社との関係が気になるところではありますが、夫は「満員電車は乗りません」という個人の判断により、家近辺で仕事をしておりました。家庭のサポートを担ってくれ、助かりました。

 

子どもたちは、朝ごはん食べたらすぐ公園に出かけて行ったり、家の前で日が暮れるまでひたすら縄跳びしたり…ずいぶん好き勝手に暮らしてきました。

 

あんまりなので、近くの買い物や洗濯、配膳くらいのことは役割分担してもらって。

 

そんな中。転居先の福島へ家やら保育園やらを探しに行ったりしておりました。

 

新幹線使わない方がいいよねということで、自家用車で出発。雪ない雪ない☃️と聞いていましたが、途中チラチラきたりして、ひやっとしましたわ〜

 

福島市内も住宅事情はなかなか厳しく、また、予想以上に待機児童問題が深刻らしいこともわかりました。

とりあえず、わらわらと二次募集に申込みだけはしてきましたが、次男、あえなく落選…

 

先週末やっと最終調整の結果がきて、なんとか次男も入所先が決まりました。

 

兄弟別園です、はい。。。

 

別園ははじめてじゃないんで、取り乱したりしなかったですけど、まあ、いい気持ちもしませんよね。浦和でも1年ちょっと経験しましたが、送迎など余裕ありませんでした。

 

園によって決まりや持ち物とか、「常識」みたいなものもちがいますしね。

 

親として、そういうのにちゃんと対応できるかしら。。。ちゃんとはできないだろな。

 

でもまずはありがたいと思って、とりあえず前向きに。

 

この時期、引越す上での諸々の申込みに、私の診断書やら紹介状やらが必要で、最低限の受診回数(できればそれぞれ1回)で済むよう、電話で事前に必要書類を頼んだ上で検査、診察と病院を回ってきました。 

 

受診というのは、いつもなんとも惨めな思いに苛まれますが、今回はいつも以上にストレスでした。

 

普段は電車で行く都内病院にも、夫が車で送ってくれたり。ありがたいやら、情けないやら。

 

コロナの問題以後、何をするにも、どの情報をもとにどう行動するべきか、なかなか確信に至れない、という状況が長らく続いています。が、それは自分なりに考え抜いて、必要な対策を講じていくしかない。そこにはベストを尽くすべきだよなあ……

 

などと考えていた通院の帰り道、ふと目を上げると、駅前の道端に30メートルくらいの大行列が。並んでいる人々はみなマスクを着用しています。

 

看板を見るとそこは。。。

 

パチンコ屋。

 

呆然とする私の目の前で、列の人々が、次から次へと、店のなかへと吸い込まれていきました。20代から、7、80代と思われる高齢の方まで、年代はさまざま。

 

列の全員が店に収容されるのは、本当にあっという間でした。

 

私はその場面を読み込むのに時間を要し、しばらく呆けたように立っていました

 

うそ〜

いま行くの?

おばあちゃんたちは、やめときな〜

 

自分がこうすべきでないと考えていることが、目前で易々と行われた場合、現実感が薄れていく、見ているもの、信じていたもの?への信頼が揺らいでくる感じがします。

 

森岡正博さんの『宗教なき時代を生きるために』、大変影響を受けた本なんですが、そのなかで、環境シンポかなんかのあと、ちょっと前に登壇して話していた方が、帰りのバス停近くてタバコのポイ捨てをした、ってシーンがあるんです。その描写がしつこくて、すごく印象に残ってるんですよ。面白くもあったんですけど、これだな、と感じる部分があって。

 

自分の中に矛盾することを、まったく呵責なくおいておける、そうやって生きていける人が実は多数派なのではないかと思うのです。

 

森岡さんは、はっきりと「自分を棚上げにしない」議論というのを提唱されている。実際にそうされていると思います。

 

私のような一般人がそれをやろうとすりと、なかなか大変なことです。ただ、考えたり行動する拠り所をどこにさだめておくのかというのは大切で、できればそれを「自分」のなかに置いておきたいと思います。

 

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