ずっと思っていること
ウネラです。
少し前からから、亡き兄の看護記録ノートを、パソコンで書き起こす作業をしています。
3年8カ月分あるので、1日に2日分くらい書き起こし続けていけば1年半くらいでとりあえず全文電子データに移行できるかなと思っていたのですが、予想を遥かに超える苦行で、1日に2日分どころか、数行しか打てない日もあります。
兄が倒れた時、私は小学4年生で、当時はいろいろわかっているつもりでいたのですが、やはり全然わかっていなかったことが、次から次へと出てきて、頭と心が大混乱です。
兄は初期の頃、隣県の大学病院のICUに入っていたので、私は祖父や親戚の車でたぶん2時間くらいかけて面会に行っていました。
両親は病院に付ききりなので、その頃は半日に1回病院で数時間会うのですが、「半日で人はこんなにもやつれていくのか」と、両親の顔を見るたびショックを受けたことをよく覚えています。
両親は兄が目をさまし回復してほしいとの一心で、付き添い(その後看護へと変わっていきます)続けているわけですが、そのことによって両親たち自身からどんどん生気が失われてしまうということを、どう捉えればいいかわかりませんでした。
はっきり言えば、「このままでは両親まで死んでしまうかもしれない」と感じ、怖かったのです。
実際、親は「自分の命と引き換えに」と思っていたと思うし、いろいろな人からそのような旨の言葉も何度か耳にしました。
けれど、私は誰かを救うために誰かが犠牲になったり「死んでも良い」という心持ちになるという理屈はおかしいし、悲しいと考えていました。(一切口にはだせませんでしたが)
私ももちろん、兄の回復を心から願っていたけれど、どこか疎外された気持ちがわだかまっていました。
「生に対する動機」みたいなものが、わからなくなってしまった。
その後両親は自らの手で兄を看護することを通じ、それを得たように、私には見えます。
けれど、まだ子どもでそこにもあまり関わることができなかった私は、兄から受けとるべきものを、充分に受けとることができないまま、ずっとここまで来てしまったように感じています。
看護記録の電子データ化は、その先に確固たる目的があるわけでもないのですが、いまの私に必要な写経のようなものなのかな、と思っています。
この命題と正面から向き合った先に、真の自分の人生を生きられれば良いなと思います。
無理しないで、休み休み。