ウネラのブログ

元新聞記者ウネラの日記

ブログで書きたいこと①本

我が家はものが少ないほうだと思うのですが、本はそこそこ置いています。

壁一面本で埋め尽くされているような、驚くほどの蔵書数では残念ながらないです。そもそも狭い借家暮らし。スペース的にも経済的にも限界があります。なので、家族一同図書館のヘビーユーザーです(図書館の魅力についてはまた改めて)。

それでも、価値があると思った本に出会ったら、できる限り買って、手元に置いておく努力は、意識的にしています。

それは経験上、本が人生を支えるものだと感じているからです。

人見知りが激しかった私は、小学校に上がる前までは、家の中で本ばかり読んでいました。「本ばかり」と言っても、難しい本を次々読破していたわけではありません。絵本やひらがなのふってあるやさしい児童書の、気に入ったものばかりを、何度も何度も繰り返し読んでいました。

あらすじも、描かれている絵の細かな描写も、まるごと覚えてしまっているはずなのに、一度好きになった本には飽きることがなくて、幼心にも、そのことを不思議に思っていました。

当時好きだった本を子どもたちと一緒に読み返すと、懐かしさがこみあげる作品の一方で、なぜあれほど夢中になっていたのかと首を傾げるものもあり、なんともおもしろいなと思います。ちなみに私が好きだった本が子どもたちにうける率も、低めです。

心を充たす本がすぐそばにあるということは、とても幸せなことだと思います。

幼いころから家族が私に本を与え続けてくれたことについては、いわく言い難い感謝の気持ちがあります。

私の両親は学生結婚で、兄は父が大学を卒業する前に生まれています。経済的余裕がない中で、両親は生まれてくる子どものため、大判の図鑑セットや絵本、童話集を揃えてくれていました。

読み聞かせも、よくしてもらいました。

物語を聞かせてもらうとき、自分で読むのとはまったく違う種類の喜びが湧き上がってきたことを、今もはっきり覚えています。おしまいのあとに「今がずっと続けばいいのに」と心から願う時間が広がって、その中に浮かんでいるのが好きでした。
私が生まれたころは四世代同居の大家族だったので、両親だけではなく、曽祖父母、祖父母、おばと、そばにいる大人たちが入れ替わり立ち替わり、本を読んでくれました。
幸せなことだったと思います。

ところが小学4年生のある日から、元気だった兄が突然病に倒れ、家庭の状況は一変しました。

その日以来意識を回復することのないまま、兄は約3年8ヶ月後に亡くなりました。脳死という状態でした。
兄のことはあまりに特異な喪失体験で、いまだうまく咀嚼もできずにいるようなところがあり、詳細を書くには時間が必要です。

このとき両親は付き切りで兄の看護にあたるという選択をしました。病院にも泊まり込みでした。

家族の誰もが、兄の奇跡的な回復を心底望んでいました。妹の私もそれは同じです。できる限り兄のそばに居続け、自らの手で兄の世話をしたいという両親の意志は、私も共有しているつもりでした。

とはいえやはり、寂しかった。

昼間は個性豊かな友人たちと過ごす時間に支えられていました。けれど、にぎやかな友人たちと別れると、気持ちがすうっと冷えていきました。

自分のどこかにすっぽり穴が開いていて、そこから絶えず空気が漏れ続けている。けれど、その穴がどこにあるかはわからなくて、ふさぐことができずにいる。
そんな感じでした。

そういうとき思い出すのが、小さい頃に読んだ本や、本とともにあった風景でした。
うろつくように古い本を手に取っては、小さいころと同じように、繰り返し読み続けました。

そうやって本を開いて何度も夜を乗り切り、思いとどまるように、生きている日々だったような気がします。けして大げさではなく、本がそこにあったことが救いでした。
あのときから二十年以上経った今、本は血肉のように自分の人生の一部となるのだと、しみじみ思います。


そういう諸々の思いがあり、時々心に残った本のことを書いていけたらいいなと思います。


写真:勝浦の海