「ぬりえ・クエスト」と友だちのこと
今日は体調がすぐれないので、下の2人の子と私は家でまったり過ごすことに。
ちなみに長男は屋内にいると極端にストレスが溜まっていく感じの人なので、夫が外に連れ出しております。
なんとなく、久しぶりに塗り絵がしたくなり、チビたちに提案すると、快諾してもらえたので、引っ張り出してきました。
その名の通りのぬりえ本です。
大人も夢中になれます。
そこにも塗るところあったんだね〜というところから塗り始めて、
静まりかえった部屋の中、母子3人、1時間以上、黙々と塗り続けました。
次男:「お母さん、しゃらしゃら〜って、いい音するね」
紙の上を色鉛筆がすべる音のことです。
穏やかな時間を過ごしながら、この「ぬりえ・クエスト」を私たちにプレゼントしてくれた友人のことを考えていました。
高校、大学の同窓であるその友人は、大変豊かな感性の持ち主で、編集者として活躍しています。
大学卒業後、お互い頻繁に連絡を取り合っていたわけではないのですが、折に触れ、葉書やメールのやり取りをしていました。
そんな感じで、直接会うことはなく数年が過ぎてしまったのですが、私に長男が生まれたと知るや、彼女は、私と長男に会いに、自宅まで来てくれました。
会わないでいた数年がまるで意識されないような、心地よい再会でした。
その後はそれまでよりは頻回に、1〜2年間隔で、食事に行ったりするようになりました。
年を経るにつれ、充実した会話を持てる相手がいる幸せというものを、しみじみ感じるのですが、その友人はまさに、そうした会話をもてる、大切な存在です。
私は元来悩みがちな人間なのですが、ここ2〜3年は、さまざまなことに区切りをつけるにあたり、一段と悩みを深くした時期でした。
そんなある日、本当にある日。
杉田水脈氏による「生産性」発言というものを目にしたことにより、私は思いがけず、個人的に、相当なダメージを受けてしまいます。
このことを書くにはまた別のページが必要になるというか、今も頭がきちんと整理されていない部分があるのですが、怒りとか悲しみとか、恐怖だとか、負の感情が一気に押し寄せてきて、実際的に、大変落ち込んでしまった。
そういう時に、そうすべきだったのかはまた良くわからないのですが、少なくともその時は堪えかねるような感じで、SNSにそのことを投稿しました。
杉田氏の発言の記事を引用して本当にひと言、「この言葉に傷ついて、落ち込んでいる」と。
するとその友人が、あまり間をおかずメールをくれました。
前に連絡を取ってからは、だいぶ時間が経っていました。
そこには
「どこの誰かもわからない人の心ない言葉に傷ついて、苦しんでしまわないで」
というメッセージに続けて
「久しぶりに食事でも行こう」
と記されていました。
それからほどなく、私は彼女としばらくぶりの食事を楽しみました。
近況を報せあいつつ、目前の料理から美術展まで、味わい尽くし、語り尽くし…。
豊かな時間を共にする友人の存在の感触を、じわじわと確かめながら、「名残」という言葉の意味が胸に迫ってきた別れ際でした。
最近だと昨年、牡蠣を食べたあと、「メスキータ展」を一緒に観てきました。
あの展示はよかったなあ。。。
あたたかくなってきたら、また連絡しよう。
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子どもたちと堪能したぬりえ本と、それをくれた大切な友人の話でした。